信頼はまるでトランプタワー
トランプ元大統領が所有するビルの話ではございません!
職場で信頼は必要?
皆さんは仕事をする上で、職場で周りからの信頼を得ることは大事なことと思いますでしょうか。
筆者は人間関係を築くのが得意ではないので、周りからどう思われているか気にせず、出来れば一匹狼で仕事をしていきたいのですが、人々に囲まれ組織に属している以上はそうもいきません。
仕事をしていく上では周りの助けも必要ですし、信頼もそこそこ得ないと仕事を任してもらえないし、良い結果にも繋がりません。
地道な積み重ね作業
信頼を得ると言っても自分では実際信頼されているのかどうかは、なんとなくしか分かりません。また、それを気にしてばかり仕事をすると物事に集中が出来なくなってしまいます。
信頼を得るために頑張るのではなく、地道に頑張っていくことが結果信頼を生んでいるんだと思います。
崩れたらまた一から
それはトランプでタワーを作るように一つまた一つとじっくりと組み立てていく作業。ほんの些細な事で一瞬にして崩れてしまいます。せっかく積み上げたものがこの葉のように崩れ落ちると、再度やる気を起こすことは難しいですが、また始めからやり直すしかないのです。
崩れてなんぼと捉えて焦らずやっていけばいいと今は思っています。
1人で出来るマウント行為への対処法
なぜこんなにも人間という生き物は他者に対してマウントを取りたがるのでしょう。
マウントを取る人は、あなたの周りにも沢山いるのではないでしょうか。あからさまにマウントを取ってくる人なんて、ただのイヤな奴ですよね。そうでなくても、地味にマウント取られれば自分がダメな人間なようでヘコみますし、言い返せない人であれば、弱みにつけこんでマウントに拍車がかかってしまうでしょう。
マウントされて不快になる原因は自分にある
では、マウントを取られて不快に感じる原因は何なのでしょう。他人から自慢話をされればいいなあと思う反面イラッとする事はよくありますよね。マウントされる時もこれに似た部分があって、要は自分のプライドを傷つけられている訳です。
つまり、あなたが他人からマウントを取られて不快と感じるのは、実は自分自身が心のどこかで他者に対してマウントを取りたがっているからなのです。
マウントをされる側であるはずの自分が自ら不快感を作り出している原因だったのです。
優劣を決めようとする人間の習性
マウントを取るということは、つまり他者と比べて優越感を得ることにある訳だから、これはどんな人間でも無意識層にその欲は秘めているもの。
人より自分の方が優れていると日頃から考えていない人でも、一度はその感覚に酔ったことはあるでしょう。職場で昇進した、賞を取ったなど他にいい学校出てる、または結婚した、家を買った、新車を買ったなど、大なり小なりきっとあるはずです。
人と比べる行為がすでにマウントポジション
これらはちょっとした自慢話なだけでマウント行為じゃないよと思うかもしれませんが、人と比べて自分の方が上であるとか、自分の方が新しい物だとか比較対象が他者である時点でそれはマウント行為を無意識に行っているのです。相手に言う言わないは関係なく、心の中でそう思ったのならすでにその行為は始まっています。
マウントされるあなたが悪い、ではない。
自分が原因だなんて受け入れるのは、なかなか難しいことだと思います。筆者自身もイラッとする気持ちは相手のマウント行為をしてくるからに決まっていると無意識に思い込んでいました。
もちろんマウントを取ってくる原因が自分自身にあるということではありません。マウントを取って優越感に浸る行為はその人の弱さからくるものでしょう。
あくまでイラッとする怒りの感情や落ち込んでしまう気持ちの原因は私たちにあるということです。
マウント行為は簡単には防げない
マウントする人にその行為を止めさせるのはなかなか難しいと思います。優越感を味わいたくてしている人だけではなく、無意識に行っている人がほとんどなので、止めてくれと伝えたとしても何のことかピンと来てもらえないでしょう。
その人と距離を取るというのも一つの手かもしれませんが、仕事で関係する同僚や学校内で仲の良いグループが出来上がっている関係とかであると、一人だけ避ける行動はやや難しいかもしれません。
では、どうすれば他人のマウントに対してヘコむ事なく、受け流すことが出来るようになるのでしょうか。
自分がすごいから悩む
それは自分自身を「すごい」と思わなくなることです。人は誰しも培ってきた知識や苦労してきた経験を自身の表面的な鎧や武器にしがちです。これらは人間関係において、とりわけマウントをしてくる相手を前にした時は足枷のようになって疲れるだけです。
これは決してプライドを捨てる、または自身が積み重ねてきたものを否定するという意味ではありません。いまあなたがその場所にいるのは、今までの経験や苦労があってこそなのです。
自身の成長のための道具に
つまり、プライドや経験を他人と比べるための道具にしてはいけないという事です。他人と比べた瞬間にそれらは安っぽいものに変わってしまいます。そうなるとマウントを取ってくる人とあまり変わらない人間性が現れてしまうのです。
人と比べることは無意味であると気付く
自分が培ってきた経験や苦労は、以前の自分からより成長して行くための道具する事で、自信がつき誇り高いものになっていきます。他人と比べるための鎧や武器にしなくなる事で、心はとても軽くなり他の重要な事に集中出来ている自分に気付くことが出来ると思います。
人と比べるのは成長の糧にしたいときだけ
せいぜい人と比べる時というのは、尊敬する人がいて、自分もああいう人になれるよう成長しようと上を見上げる時だけにしましょう。決して階段を見下ろして、自分の方が上にいると感じたいがために比べるのは止めましょう。
長い道のりだが一番の近道
筆者自身も自分が今どのポジションにいるか不安で周りと比べることは多々あります。まだまだ道半ばですが、無駄な重たい鎧を捨てて進んでいる時は、心身ともに軽くなり自分の成長の前進を感じられます。
少しずつで大丈夫
なかなか鎧を捨てるのは勇気がいることですが、少しずつこの気持ちを積み重ねて今日も生きていきたいものです。